次回公演に向けて 2. 午前中ボォー. 午後もボォー

2. 午前中ボォー. 午後もボォー

 

 一日にはいろんなことがあるものだ。それが全部日記に書くことではないにしても、全く何もないということはまれである。今日のぼくなどは、朝から晩まで家にいて、何もしなかったと言っていいのだが、郵便は来たし、電話も来た。携帯電話も鳴った。そのひとつひとつに日記が対応したら、身がもたないけれど、うれしい手紙のひとつもあれば、それを記録しておくのもわるいことではない。

                  ーー『日記をつける』荒川洋治

 

 詳しいことは言わない(というか言えない)が、いま私の手元にA7サイズの小ぶりな日記帳が10冊ある。私のものではない。それに、持ち主の顔も名前も知らない。私はざっとではあるが、すでに全てに目を通した、というか、ついに全てを読んでしまった。日記帳のいたるところには人名と電話番号が書きつけられていて、この小さな可愛らしい紙面から、なにか異様なおぞましいオーラが立ち上がってくる。日記をしばらく読み進めていると、この日記の書き手が、高校生くらいの年の「美少年」をスカウトしたり、当時よく読まれていたらしい雑誌の編集をしたりしていたということが、ぼんやりとわかってくる。だからおそらく、ここに書きつけられた多くの人名や電話番号は、当時「美少年」だった人々や、当時編集者だった人々のものと思われる。

 当時、当時と言っているのは、この日記がちょうど20年前に書かれたものであるらしいからだ。この事実に気づいたときには、さすがに少し興奮した。はじめは空恐ろしかったのに、いろいろ分かってくるとだんだんと熱っぽくなってきて、もう引き返せないような盲目的な状況に陥った。他人の個人的な手記を覗きみるという行為には、そういうアブナサがあるように思う。

 と、ここまで書いておいてなんだが、その興奮を綴ることは今はしない。どのようにして、書かれた年代を暴いたかということも言わない。日記帳を読んでいて、ところどころ強い喜びや興奮を得たことは確かなのだが、そのことよりももっと穏やかで、書かなければ消えてしまいそうな気づきこそ、書いて残したいと思うからだ。

 私は日記をつけようとしても三日坊主で終わってしまうタイプなので、少なくとも約1年間、日記をつけ続けているこの人はすごいなと思う。特にこういう日なんかは、日記を書くということの本質を捉えているような気がして、私は静かに感動をおぼえるなどした。気は引けるが、引用したい。覚悟して読んでもらえればと思う。

 

7月4日(日)

午前中ボォー.

午後もボォー

アパートを

4時過ぎに出る.

代々木八幡で降りて

公園をぬけて. 渋谷へ

少し飲んで. アパートに戻り

それで帰*り

なんとむなしい

1日だったのか.

 

もちろん、現物は手書きなのだが、写真だとこういう場所には生々しすぎると思ってやめた。その代わり、読点の感じや、ぐちゃぐちゃっと修正してあるところなど、できる限り再現してみた。

 こうやって書き出して眺めてみても、やはり日記というのは素敵だなと思える。「むなしい1日」だったのに、書くことがあるということ。何もなかったようでいて、いろんなことがあったということ。「午前中ボォー」が、念願の美少年と出会えたことと、等しく紙面に書き残されているということ。書き手にそういう意識があったかどうかは定かでないが、それとは無関係にこういうことが成り立ってしまう日記というシステム、とりわけ日付という道具はすごいなと思う。

 そのすごさというのは、無意識的に「何を書くか」ではなく「どう書くか」を規定してくる形式にあるのであって、それはドラマトゥルギーと呼ぶにふさわしいものだと、私は考えている。そしてこの点において、日記のもつ<態度>あるいは<姿勢>は、演劇のもつべきそれと同じだと思うのだ。

 

 ーー自分は結婚して何をし、何を得たかといったら、ほとんど何もない。子供を産んで育ててきたことと、男というものについて、夫を通じて多少知ったぐらいのことで、そのほかには何もなかったという気がしてならない。

 ある中年女性が、カウンセラーにこう訴えたそうだ。なんだか、身体に力を失った女の顔が浮ぶ。そして、それに私も自分の似顔を感じる。私たちはと言ってもよいようにも感じる。これを、<劇>を失ったものの顔であるといってはならない。彼女は、自分の生を<劇>の目で見ているのである。<劇>の目でみて<何もない>と言っている。これは、<劇>の目で自分の生を見ることを強いられた者の訴えなのである。

              ーー「劇的なるものを疑う」太田省吾

 

 もちろん、彼女の生に「何もなかった」 はずはなく、「子どもを産んで育てたことと、男というものについて、夫を通じて多少知った」以外にも、何かあったはずだ。この、〈何か〉を〈何も〉としてしまう姿勢、態度のことを、太田は〈劇〉の目と言っている。この文章の続きで、太田は〈何か〉というのも結局のところ、〈信〉の問題になってしまう、つまり頭(脳みそ)で〈何か〉に価値を見ようとしているにすぎないことを指摘しているのだが、それでもやはり〈何も〉を〈何か〉という風に見たいのだと、決意をしたためている。

  私はこの太田の言葉を、自らの演劇の核=ドラマトゥルギーに据えたいと思っている。そして、だからこそ今回、日記のもつ〈形式〉=ドラマトゥルギーに可能性を見ているのだ。「午前中ボォー. 午後もボォー」を〈何か〉としてみつめる、日記の目、日付という制度、それらにいま〈信〉を置きたい。そこから望める人生を、じっと見つめてみたい。